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2002.5.1.発行
= a@14. 目 次 =
□ 本物がある倉沢を大切にしませんか(K・O)
□ 里山の植物誌(13)(峰岸 立枝)
□ 遠くて近い寺家ふるさと村(中尾ひろえ)
□ 畑と雑草(峰岸 立枝)
□ 宮嶽の谷戸散策会(川崎 明)
□ 5・6月の倉沢緑地イベント情報
□ 2001年度決算報告
□倉沢むかし・昔 (最終回・峰岸 純夫)
□事 務 局 か ら
倉沢在住 K・O
1960年代の所謂「公害」問題が騒がれだした時代から、まちは様変わりし、これまで当然のように人とともに暮らしてきた、生き物たちが身近な場所からその姿を消し始めてしまった。その後、人々はこぞってこの『状況』を憂い、なんとかかつての姿を取り戻したいと躍起になった。とにかく生き物の姿が見たいとの思いから、身近な川には「コイ」を放流し、地下水をくみ上げた『親水』には、こともあろうに、清流のシンボルとして養殖されたホタルの幼虫が毎年のように放たれ、いかにも自然が復元されたかのような幻想を多くの人に抱かせてきた。しかしながら、(この時消耗品のように放たれた生き物には恐縮だが)このような自然の取り繕いは、長続きはしなかった。数年前には、「(養殖)ホタルの夕べ」を売り物に何十年にもわたってイベントを催してきたホテルがこれを中止したことをみても明らかである。
そんな時間を経過し、現在人々の意識は少しづつ本物を志向してきているように思えるが、これまでに失ってきたその自然の代償は大きい。 そこでこれからの話だが、これまでの事を教訓とし、華やかな現象だけに捉われることなく、本物の身近な自然をより大切にしていく事が求められている。
何よりもこの『倉沢』の地には、この地の人のくらしとともに生き続けてきている雑木林や生き物がいる。自然の象徴のようにもてあそばれた、ホタルやサワガニ、キンラン、ギンランも、その本物がしたたかに生き続けていることが、より一層この地の魅力を引き上げています。
感傷だけに終わることなく、何とかこの地を大切にしていきたいのです。人にとっても、生き物にとっても。
倉沢第1緑地
タマノカンアオイ(ウマノスズクサ科)目次へ戻る
薄暗い所を好む植物で、花の色は暗紫色をしており、地面に接しているか、半分埋もれた状態で咲く為、よほど注意ないと見過ごしてしまう。それでいて一度見ると、なぜか気になる不思議な魅力をもっている。花には芳香があるがそれを確認するには、顔が汚れる事を覚悟しなければならない
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中尾ひろえ
寺家ふるさと村を知ったのは10年ほど前だ。横浜に住む都市で畑を耕す仲間が「寺家ふるさと村」の農家から田んぼを借りて耕すというので皆で見にいった。田んぼの周りには小さな小川が流れ、背後には雑木林の山があり、右手奥には池があった。
水が入る前の田んぼにはピンクのれんげ草がいっぱいだった。無農薬で耕すと意気込んだ若者達は前年にれんげの種を蒔き、会の名を「寺家れんげの会」と名付けたが、会
は2年で解散した。
寺家は先史時代の遺跡も出る程古くから人が住み、肥沃な谷戸は豊かな恵みをもたらしてきた。四季折々風光明美な自然を味わえる場所である。
寺家ふるさと村の農家の人たちが近隣の都市化に悩み活性化を模索していた時、横浜市の21世紀プランや農水省の自然活用型農村地域構造改善事業に出合った。
そして、地元主体で市と県と国が一体となって事業を押し進め、1987年(昭和62年)の「四季の家」開館をもって事業は完成した。構想の柱は、農村資源の活用、農家の生活安定と寺家の中での就業機会の増大、自然,農業,農村文化の体験であった。
10数年を経過して成果はどうであったのだろうか。
たまたま里地ネットワークの竹田さんから、寺家ふるさと村見学のチラシをいただいた。見学後、町田のチベットと言われる三輪町を訪ねて保全活動をする、とのお誘いであった。そこで、2月17日、田村さんご夫妻をお誘いして築地さんも加わり4人で出かけた。
四季の家で農家の代表の方の説明をお聞きした後、田畑や住居が溶け合ったような一帯を一巡し、陶芸や小さな炭焼き小屋などを見学した。歩きながら、「農家にとってこのような仕組みをどう思われますか」とお聞きすると、「こうしなければ、ふるさとを守ることはできませんから」との厳しいお話だった。三輪町の保全作業に向かう竹田さんたちと分かれ、四季の家で食事をし、水田のあたりをまわった。寒い日で
あったが、時折薄日もさし、私たち以外にも訪れる人が多かった。

峰岸 立枝
畑の雑草を1度書きたいと思っていました。本当は私の好きなのは夏の雑草ですが、耕作されていない畑を眺めていると、現在の姿も書いておこうと思いました。
ヒメオドリコソウやホトケノザの時期は過ぎ、オランダミミナグサ・スズメノテッポウ・スズメノカタビラが競い合って咲いているのが目立ち、地面をよく見れば、ミミナグサ・タチイヌノフグリ、ツメクサ・ハコベ・ウシハコベ・ノミノフスマ・ノミノツヅリ・ハハコグサ・スギナ・ツユクサ・ハルジオン・ヒメジョオン・カタバミ・アカカタバミ、少ないがナズナ・イヌガラシ(栃木や群馬で見かけるイヌナズナは属は違うけれど、この辺りは何故見かけないのでしょうか)。その他、畦道から侵入したスイバ・ノビル・ヘビイチゴなどでした。タンポポの分布調査はよく行われますが、有史以前からあったミミナグサと新参者のオランダミミナグサもその必要があると思いました。白いノミノフスマをもし高山で見たら、タカネミミナグサやホソバツメクサを見る時のように感動するでしょうに。すぐそばの林ではキジムシロやミツバツチグリが咲いているのに、田や畑はヘビイチゴと住み分けているようですね。ヘビイチゴの実は不食と思われてる方が多いようですが食用になります。しかし、美味いものではありません。
この雑草たちは時には農作物の乾燥を防いだり、肥料に変えられたりしています。除草の労動から邪魔物扱いされるけれど、雑草が生えることは土が健全であることの証拠であり、また、抜いても抜いても毎年生える雑草に人間の生き方を学んだりしてきました。これら畑の雑草が土に返り、野菜や花が作られ、大勢の人々の畑自慢の声が満ちる時を思いながら2002年4月20日記しました。
ジシバリ
ノミノフスマ
川崎 明
4月の散策会は東京都の里山保全地域指定の有力候補八王子堀の内の宮嶽の谷戸に行きました。多摩テックの観覧車の南側の森と云えばよいでしょうか、ここは都の自然公園地域であり、市街化調整区域です。
開発され売り出し中の、日本初というエスカレーターつきの大規模な霊園や、農地改良の名のもとにまるで宅地分譲地のように谷戸田を埋めた畑などを横目に見ながら谷戸に入りました。
ちょっと薄曇りの絶好の散策日和、谷戸田の脇を流れる田んぼの流れでは、24人の参加者のあいだからホトケドジョウを見つけたとか、カワニナがいたとか声が上がります。
田んぼの源氏ホタルは一度は農薬で全滅しましたが、森の奥でかろうじて生き残ったホタルが保護活動で田んぼにも戻ってきた話をすると、今度はホタルを見に来ようと声が上がります。
今オオタカの営巣期なので、奥のほうに入ることを避けていたら、森の上の方でオオタカとカラスの空中戦が始まりました。多勢に無勢、やはりカラスに軍配があがりました。
つぎに、観覧車下の尾根道に上がります。西の鑓水の方からの緑の連なり、ニュータウンと素晴らしい眺めです。しかし足元は東京ドーム一つ位の面積が不当に捨てられた土砂に埋まって森が無くなっています。とても残念です。防災工事の名のもとに、残土を森の方に落とし続けた業者がいたのです。都も八王子市も市民の抗議に本気で取り組もうとはしませんでした。緑を守ることについて市街化調整区域においてさえ行政の力には限界があるのです。
やはり最終的には地権者の事情や意志によって決定せざるを得ないのでしょうか。
最後はトウキョウサンショウウオが生息する風間椎茸農園でのお昼です。手作りのウッドデッキで採りたて椎茸の炭火焼と竹の子の刺身、いやーおいしかったこと、傍らには内山さんのナバホ織(ネイティブアメリカンの伝統織物)の工房も出来たばかりです。
おいしい椎茸のおみやげつきの、
「目に青葉 山にうぐいす 焼き椎茸」の結構な一日でした。

事務局 田村 裕介
倉沢里山を愛する会の会計年度は4/1〜翌年3/31となっています。昨年度の決算について監査を受け、先日の幹事会で承認されましたのでご報告します。
収入は会費61,700円、助成金280,000円、カンパ他107,582円、合計449,282円。
支出は備品306,288円、消耗品等81,860円、その他77,893円、合計466,041円。
結果、次期繰越金は16,759円の赤字となりました。
第5回(最終回) 小林氏建立の松連寺と観音堂 峰岸 純夫
百草山一帯には、かつて平安時代末期から鎌倉時代にかけて、真慈悲寺という巨大な天台系の寺院が存在した。
この寺院の瓦がこの寺院の奥の院の場所と考えられる京王百草梅園の地域から出土し、その他にも平安時代の経筒が出土している。その寺の存在を示す建長2年(1250)銘の阿弥陀如来の金銅仏(国指定)が隣の八幡神社境内の収蔵庫に納められている。
この寺は、新田義貞の鎌倉攻めの時の分倍河原合戦の時に焼失し、また保護していた鎌倉幕府の滅亡により廃寺となった。
百草の代官小林正利は、宝永年間(18世紀初頭)にこの地に臨済宗の寺院を再建し、桝井山松連寺となづけた。桝井は百草の中世の古名で、百草園・八幡宮から南へ下る坂を桝井坂と称している。そして、八幡宮を管轄する別当寺を修験の万蔵院から取り上げて松連寺に移管し、八幡宮と松蓮寺を一体のものとして小林氏の氏神・氏寺のようにして両者の縁起などを作っている。
坂下の地には自己の持仏堂として観音堂を建立し、正利の石像を納めた、これが次の代の正与の時に百草の地を没収されて撤去されたことは前に触れた。
小林氏の退去から8年後の享保6年(1721)、小田原藩主大久保忠増の夫人寿昌院慈岳元長尼が開基となり、慈光北宗という僧を開山に招いて禅宗の一派黄檗宗の寺院として再建した。
この寺の名は慈岳山松連寺といい、この寺は幕末まで続いた。
観音堂のなかには仏像、横には庚申塔や石仏などがあり、前方には小林正与の寄進銘の手洗鉢が残されている。なお松連寺元長尼の念持仏の準提観音は流失したが、落川の朝倉康雅氏が古物商から買得し、大切に保存している(写真)。
この二つの松連寺はややもすると混同されているが、区別されるべきもので、関連の墓は、桝井山松連寺のものは百草梅園料金所入口から東へ160メートルほど下った道の北側の住宅裏山にあり、慈岳山松連寺のものは百草梅園から七生丘陵散策コースの小道を東へ少し行った右下にあり、ここには歴代住職の墓が立ち並んでいる。ここに開基の元長尼の墓が中心に建てられているが、彼女は夫の没後に仏門に入った後家尼であって尼僧ではない。したがって、慈岳山松連寺を尼寺というのは誤りである。
カレンダーに○をつけておいてね。
参加する方は事務局までご連絡お願いします。
☆5月18日(土) 雑木林の下草刈り(1)
10時、第2緑地集合 雨天の時は翌日の同時刻
作業の後は薪で炊いたご飯でアウトドアカレー
持ち物 皿、スプーン、軍手、飲み物
参加費 300円(食材代)
☆6月23日(日) 葉から調べる樹木講座
(今回のみ日曜日ですのでお間違いなく)
10時、第2緑地集合 雨天の時は南百草地区センターにて
元信州大の馬場先生を招いて教えて頂きます。
持ち物 弁当、ルーペ等、筆記具、飲み物
参加費 300円 資料代
※著名な馬場先生に直接ご指導頂くチャンスです。ご著書「葉でわかる樹木」を著者割引で入手できます。(定価3200円)
☆倉沢里山を愛する会の活動資金の一部として、日本財団から昨年に引き続き2002年度は年間55万円の助成金を頂けることになりました。必要な機材・や消耗品の購入に充てられます。
☆倉沢里山を愛する会の新年度の会員を募集しています。お友達も誘って入会をお願いします。倉沢里山に親しみ、楽しみながら、できる範囲で維持に協力して頂ければと思います。会費は1家族1,000円/年です。運営資金のカンパもお願いします。
振込の場合は、東京都民銀行百草支店・普・4005403、倉沢里山を愛する会(同支店キャッシュカードでの手数料は無料)
☆このニュー-スレターは、会のホームページでもご覧頂けますが(http://www.hinocatv.ne.jp/~alice-fm)500円/年の実費で郵送も致しております。ご希望の方はお申し出下さい。
☆会で作った竹炭や竹酢液を事務局でお分けします。声をかけて下さい。
☆次号のニュースレターは7月1日発行の予定です。記事や写真・イラストなどをお寄せ下さい。紙・FDは田村宅のポストへE-mailは、alice-fm@mail.hinocatv.ne.jpへ。